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9/3/2008 COLT ・380AUTO衝動買い。
高校時代お小遣いで買ったコンパクトなブローバックガスガン、タナカの380オート。
その当時としてはブローバックガスガンはWAのマグナ・ブローバック「SHORTY・40」が
出たばかりか出る前だったような気がする。
こっそり学校に持ち込んで放課後インドアシチュエーション!とか友達と遊んでいたのが
先生にバレて(しかも生活指導www)没収されてしまいました。
それはともかく、その当時同じメカのPB-M1934もあって、これは親戚から貰ったっけ。
本体にガスタンクを内蔵し、マガジン部は細かったのでちょっと心残りだったわけですが
最近それが再版されたことを聞きつけまして。
ふらっと行きつけのオモチャ屋さんに入って、店員さんに「・380オート下さい」と言ったところ
ニヤリとして「どれにします?4種類(だったと思う)ありますけど」と言われてむしろ吃驚。
ま、いくらなんでも懐古趣味なわけで、とりあえず普通のバージョン買ったんですけどね。
「M1934も出てますからね、またのご来店をお待ちしてますよ~」
サービスでガスが1缶ついてきたw 9/1/2008 -それはまだ、刻の流れが音速を 超えていなかった頃-スカイ・クロラを観た。
ただ単に、トレイラーで観た震電っぽい飛行体にきっかけただけだが。
…たぶん、今週また観にいく(笑)。
原作は知らない。読む気はあるが、買ってまで読もうとは思わない、そんな感じだ。
なんだか「やられた感」があって、それが微かに自分を苛立たせているのかもしれない。
なにより、10年前にイラストボードで「いまの技術で再生させるなら」と描いた震電と、
この作品に出てくる主力(最新鋭らしい)戦闘機「散香」のイメージが悔しいほど合致
しているのだ。そのイラストボードのタイトルは、「帝都防空1946」だったと記憶。
二重反転ペラ、排気タービン、自動空戦フラップ、星型複列18気筒「ハ43」発動機。
そんな震電があったらなぁと夢想したものだ。
Ta152、Me262A-1a、Fw190といったドイツ高速戦闘機群、鍾馗・雷電・疾風といった
日本局地戦闘機群、相手はP-51とF4U-1、スピットファイア、テンペスト。
だから、この作品で描かれる「P-51vs震電(それぞれ別の名前があるが)」というのは
事実、起こり得るなら最高に血湧き肉躍るスペクタクルであるし、ある意味で震電が
P-51に対して無力なほど格闘戦能力が低いのも納得できないものではない。
あれは、局地戦闘機だ。爆撃機迎撃のため、上昇力と火力に重きを置いた機体。
それに対し、P-39とP-51のあいのこみたいな(ペラ軸37mmカノンはエンジン後方配置
だろう、jk)このライバル機に一方的に撃墜される序盤で既に腹が立っていた。
…まあ、ストーリー上必要な演出だったし、その演出あってこそのスカイ・クロラ
なんだろうけれども。
今のご時世、ステルス戦闘機がアウトレンジから優秀な空対空ミサイルを撃って
離脱して終了、という戦闘が基本なのだろう。だからこそ「トランスフォーマー」で
A-10A、AC-130Hの活躍シーンにゾクゾクできるわけだし、エースコンバットでは
必死でF-4の機銃のみでクリアを試みたりするわけだ。
たまに浜松基地広報館に遊びに行く。毎回、「最後の有人戦闘機」F-104Jの翼下で
全面無塗装銀の鈍い輝きに大空へ思いを馳せるのだが、…どうやらオイラは
生まれてくるのが半世紀遅かったのだろうと思う。法や規制でがんじがらめの現代、
ただ仕事をするためだけに働き(そのなかでオイラは恵まれているといえばいえるが)
結婚し子を為して夢を託すだけが人生だと考えると、あまりにも希望がもてない。
確かに生活は便利になったし、安全で快適になった。けれど、秘境がなくなり世界の
謎がひとつひとつ解明されていくに従って、世界から夢が消えていったのだろう。
空を飛びたい。年々その気持ちは高まっていく。そりゃ、カネさえ払えば空は飛べる。
ただし、乗客として…だ。
自分の手で操縦桿を握り、ラダーを踏みつけ、スロットルを開けたい。
軽自動車のエンジンだっていい。新素材もたくさんある。EFIの技術は世界を変えた。
どうにかして、自分の手で空を飛べないものだろうか。
大空を見上げながら「空を飛ぶ」ことだけに血力を注いだ世代に、敬礼を。
そしてなにより、憧憬を。
いつか、きっと、飛んでやる。 5/22/2008 逆カミノ現象。職場でなんだか足許がフワフワしてるように感じた。
なんだろーと思ったが、ちょうどそのときお客さんが来店されてそのまま商談に入り、そのことを忘れた。
その商談が終わり、お客さんを送り出して事務所に戻る途中、「チャリーン」という音がして、おや?小銭でも
落っことしたかな?と振り返ったところ、幅15mm長さ70mmほどの薄い金属片が落ちている。
「?」
拾い上げてみる。軽く反り、二つ折りにし損なったような感じの折れ方をした金属片、軽く錆が浮いている。
とりあえず工場のほうの金属ゴミペール缶に投げ込んで、事務所に戻る途中、またヘンな感じ。
なんか、足音がおかしい。コツ・コツという歩行音がカッコイイ(と思っている)安物靴だが、片方がどうも
微妙に虚ろに響く…ということではたと気付いて靴自体に目をやると…
踵 が プ ラ ン プ ラ ン し て ま す が な ! w
つい噴き出しました、いやこりゃー逆カミノ現象って奴だ。3000円の靴、3ヶ月ごと交換しているけれども
まあ今回は年始から5月も末期まで戦ってくれた靴だからまぁ…いいかw
とりあえず、別の靴(安全靴)に履き替えてその日は凌ぎました。
さて、もうちょっと頑丈な靴を探さなきゃなぁw 4/5/2007 迎撃!となりのデルタ乗り(いやはや)昨日早朝、お山頂上駐車場にて、tatsuyaさんとお会いしました。
思ったとおりの気さくな方で、さすが大将と呼ばれるだけのことはあるな~と
感心しました。
まあ、僕はアガってしまってマトモなことなにも言えなかったんですが(笑)、
貴重な水曜休み同士、今度うまく予定を合わせてツーリングに誘っていただきたい
です。
そして、それだけじゃ終わらなかったんです。
今日。ついさっきです、僕は仕事で使っている安全靴(ブーツタイプ)の靴底がエボ化
(ごめんなさいK氏)したので、近くのホムセンに立ち寄ってブーツタイプの値段でも
見ようと思ったんですよ。
そうしたら、駐車場にIntegrale6が駐車しようとしてるではないですか。
いや、絶対間違いない。あれは、CiAO!の「にしさん」だ!と思ってドキドキ。
何度も遭遇しすれ違ったりしてるのですが、そのたびに僕はデルタ以外のクルマでして。
お店に入ろうとしたところを迎撃して声をかけさせてもらいました。
なんか、すごく嬉しいです。
きっと、アイドルのおっかけやってる人が街中でお目当てのアイドルみつけたときと同じ気持ち
(そうだろうか?追っかけやったことがないので全然わかんない)?
なにより、僕自身がこんなへなちょこでありながら、デルタというクルマを接点にいろいろな
方と交流できるってすごいことですよね。
今日は、いい夢が見られそうです(なんで!) 3/24/2007 特務曹長の歴史:第二部「トキメキ」雨が降っていて仕事にならんので、久しぶりに書いてみる。
でも、書くことがあまりないので、例の自叙伝風ナニを続けてみよう。
第一部で昇天した初代を泣く泣く手放し、その3ヵ月後僕が手に入れたMR2はちょっと違った。
なによりも、デフが入っていること。前期ミッションでデフ入りってのはレアだ。
レアすぎて、誰も買い手がつかないくらい(笑)。
そして、ムーンルーフ。Tバーはなんかヤだ、雨漏りしそう、という理由で敬遠していたし、なにより
前期であること(実際にはまったくこれっぽっちも気にする必要はなかったようだ)が重要だったし、
色も白であることが重要だった僕にとっては「あっても困る装備」のひとつだった。
ただ、まあ何とかごまかせるだろう、という理由で購入。そのときお世話になった車屋さんがとても
気に入って(夜の赤城山の麓で仲良くなった面々の集う場所だ、気に入らないわけがない)、以後
何かというとそこへ通うようになる。
そして、7万kmだがタイミングベルト交換、燃料フィルタ交換、ベルト交換に各種メンテ。僕はその
とき、「中古車は壊れそうな部分は売るとき換えてしまうべき」という姿勢を学んだ。
ま、僕がフットんでブッコわしたということはその人も当然知っているわけで、ヘタをするとブン回して
ブッコわすだろう、ということで予防策だったのかもしれない。
それで、まあ、そこから僕の疾走人生に拍車がかかるわけだ。
初代で無免許時代峠に通い、先輩がたに護送されたり(「しばらく引退します、免許取りに行くので」と
言ったらものすごい剣幕で怒られ、自宅まで先輩の運転で護送。鍵も「仮免とれるまで」と押収された)
していたわけだが、23歳の冬、ついに運転免許を取得し、春に初代を廃車、梅雨をバイクのみで過ごし、
暑くなる直前に二代目を入手したことになる。
フロントは195/55R15のアゼニス・リアルスポーツ(その後RT215と名前を変えた左右非対称パターン)、
リアに205/50R15のポテンザ・DAGG(今考えると懐かしすぎる)。
機械式デフの加速性能、旋回しやすさ(入り口アンダー、出口オーバーがきっちりニュートラルに)、
これは効いた。マフラーは初代のとき頂いたストレート触媒の5ZIGEN競技用、エアクリはぼろぼろに
なっていた中身のみ買い換えたHKSの毒キノコ。
ミッションオイルを交換した際の空き缶で作った自作ブローバイ・オイルキャッチタンク(ロウ付け溶接も
はじめてやったが、意外とよい出来だと褒められた。内容量がわかる透明ホース式ゲージも装備)、
極力安く、でもいろいろとつけてみたいものをつけてみた。
どこの製品だったか忘れたが、デジタル空燃費モニター(セッティングに役立つものではないけど、追加
メーターをつけようとするととにかくホースが長くなってしまうMR2の特性上致し方なし)、知り合いから
譲ってもらったA'pexiのSuperAFC(弄ってる気分にはなれた)。
TRDのシフトノブとTRDのホーンボタンを誰かからもらって、つけていた。
その車でいろいろなところへいった。北は男鹿半島、西は鈴鹿(の手前)。日帰りで実家まで往復とか、
ホントにいろいろチャレンジした。
峠を走れば排気漏れ(センターパイプの継ぎ目のガスケットが抜けていた)で車体下を明るく染め、後輩
に「バックトゥザフューチャーみたいだ」と言われたり(すぐ直した・・・・)、2速3速の全開走行を続けたあと
真っ暗な駐車場所でエンジンフードを上げ、エキマニが真っ赤になっているのを眺めてニヤニヤしたり。
そのあとは火を吹くマフラーのおかげでバンパが焦げたりもしたが、わりと当時の車の中では普通の車
だった(足回りは悪くなかったから弄るつもりがなかった)。
LLCとオイルにはとことん気を使った。ローテンプサーモはあまり意味がなさそうだったからつけなかったが
純正の油圧計(メータパネルにちゃんと内臓されていた)で「いつもより油圧があがらないな」と感じたら
すぐオイル交換をしていた。大体2ヶ月くらいだっただろうか。
プラグもイリジウムがいいと聞けばすぐそれに飛びついた(まわりが交換していると僕も真似をしたのだ)。
とにかく楽しかった。下手をすればシグナルでシルビアにも勝てた(S14前期ターボ)。
なにより、ミドシップを操っている(と思っている)自分がカッコイイと思ってた時代だ。
まわりにはたくさん車乗りがいたが、けっこう管理が杜撰で、よく壊れていた。直すのを手伝ったりすると、
やはり色々な工具が欲しくなる。そうしたら、車屋さんにお邪魔してそこで作業させてもらったりして、
どんどん手に技術がついてきた。
夜中、峠からの帰りにエンコしている車を見つけて救助したり、パンクで困っている女の子に声をかけて
タイヤ交換してあげたり、いろいろしたし、もちろんいろいろしてもらった。
なによりも、その峠でであった仲間たちとは今でも交流があるし、いろいろ迷惑をかけたけれども、同じ時間を
過ごした仲間としてとても誇りに思っている。
そう、その仲間たちとやったことといえば、その車屋さんが参加していた「軽5時間耐久ダートレース」だ。
ダートサーキットに、車屋さんが「まだ動くけど売り物としての価値が低いクルマ」を持ち寄って走らせ、
解体屋に出してもいいくらいボコボコに痛めつけるのが主目的(笑)。
当時のレギュレーションでは「SOHC、加給器なし、2駆、平成6年以前」というのが条件だった。
僕はそれを一度見に行き('99最終戦)、一気にそのセカイにハマった。
F1も好きだったが、それよりもラリーが好きだった。
「早いクルマを走らせる」のにも才能は要るだろうが、「クルマを早く走らせる」のにはそれよりも重要な才能
(特にその当時のF1はピットワークだけでほぼ順位が決まってしまうようなレースが多く、しかも片山右京が
引退すると応援すべきドライバーも見当たらなかった)が必要とされるだけに、ラリーにはとても興味がわく。
その意識の奥底にデルタが潜んでいたことは言うまでもない。
そして、車屋さんと交渉し、「Bチーム」を結成するに至る。
L70Vミラを一台譲受し、人数を集め(2人以上10人以下という条件)、そういったオアソビを楽しめる人間が
Bチームに集まった。中には、今もなお交流しているのだが、出走前夜峠でスカウトして飛び入りで走らせた
整備士学校の生徒(現・スズキ販売店でサービス)もいた。
初回。初回は完走できないだろう、という大方の予想(3回転倒すると自動的にリタイヤ扱いになるため)を裏切り
僕がトップ出走でいきなり前転をカマすというミス(笑)をやらかしたにもかかわらず、なんと完走を果たした。
フロントは農耕機用10インチ泥濘用タイヤ、リアはスタッ(ドレスを着ていない)タイヤ。全輪ドラムブレーキ、550cc
であったがその完走は価値があった。みんなものすごくテンションを揚げていった。
次いで、バイトで忙しい僕の代わりに友人たちがフロントをディスク化。それによりタイヤは13インチにサイズアップ、
以前からあった「Aチーム」が使っていたお古のラリータイヤをゲットして(Aチームはラリーチューブも仕込んでいた)、
さまざまな工夫をし、ガス管を曲げただけのロールバー、切り貼りしたシートレールにメーカ不明のバケットシート、
みんなで金やアイテムを出し合って(僕はだいぶそれに助けられたが)、アイデアと労力を分け合って、その年、
BチームのL70Vはなんと全5戦完走(うち入賞2回)という輝かしい戦歴を刻んだ。
途中でそのうわさを聞きつけたメンバーが大増殖した関係で一時「Cチーム」までができるほど、みんなそれに打ち込んだ。
あの熱い思い。・・・・少なからず問題もあった、メンバーと喧嘩し険悪になったこともあった、逆にライバルチームが
こちらのラジエータが壊れたとみるや「コレを使え!」と自分のチームの予備部品を投げてくれたり、すごくほのぼの
としたレースをやっていた。
創ることは楽しい。創ったものが走るのを見る、これも楽しい。創ったものに自分で乗って走らせる、コレ最高。
ある意味、デザイナーってすごく幸せな職業だと思う。それが商品になるのだから。
次の年、僕は観戦に行くことすらおぼつかなくなり、完全にその活動から身を引いた。でも、峠に顔を出したり、車屋に
顔を出したりするたびに戦績を聞いて喜べた。
今でも、目を閉じると思い出せる。3速に入れるレブリミットをメーターパネル(スピードしかない)に赤いテープで記したり、
水温計の針が「ここまできたら強制ラジエータファンスイッチをON」とか(サーモとっぱらってた)。それぞれのアイデアで
それぞれの仕様がいちいち変わるため、白い布テープと黒い油性マジックは必携だった。
四点式シートベルトでシートに固定されると、キーシリンダーに手が届かない。それゆえに、電装系もかなり改造した。
(第一戦で僕が転倒した際、キーをOFFにできず苦労したというエピソードに基づいて、だが)キースイッチはまず、キー
シリンダをフロントにメインスイッチとして設置。転倒時の衝撃などでOFFになってしまうこともあるが、そこは臨機応変に
対処することになっていた(要は、「転ぶな」)。そこからセルスタート配線は手元に近いところにトグルスイッチ。
反対側にはラジエータファン強制始動スイッチ(最終的には「せんぷうきはとめないで!」という注意書きとともに常時ON)
その頃の写真が入ったCD-Rはどこに仕舞っただろう。
第一戦、完走のチェッカーを受ける自分たちのクルマを見ながら号泣していた自分。
入賞したとき、「発案者なんだからお前が代表として行くべきだろ」と背中を押してくれた仲間たち。
最終戦を走り抜き、満身創痍になりながらもみんなの前に誇らしげに存在したL70V。
いろいろな経験をした。いろいろな知識、いろいろな技術、いろいろな笑顔を手に入れた。
あれほど毎日をワクワク感に彩られた時期はなかっただろう。
今もなお、その「Bチーム」は存在する。
その当時は裏方として頑張ってくれていた子が、今はチ-ムを引っ張っているんだそうだ。
何年か前には入賞だけでなく、年間総合優勝もしたんだそうだ。
・・・・なんの気なしに撒いた種。
でも、立派に育った。立派に結実し、悲願も達成した。
惜しむらくは、その中心にはもう僕がいないことだが。
でも、その気持ちだけは、一生忘れないだろう。
トキメキ、いい言葉である。 3/17/2007 撃墜!動物愛護団体というのがある。 人間のエゴによりペット、およびそれ以外の生命がないがしろにされることを防ぎ、そして生命の尊さを啓蒙し続けている団体である。 mixiが烈火のごとく流行り、その中から「ゴキブリホイホイで雀を捕獲した」某氏が自らの日記でその様子を写真入りでネットに流し、非常に大問題になったことは記憶に新しい。 確かに、字面を見るとたいそう酷いことである。 精一杯生きている野生動物であるところの雀を、何故ゴキブリホイホイで捕獲する必要があるのか。そして、それを誇らしげに全世界へ向けて発信したのは何故か。 僕としても、ニュースでそれを聞いたときは「酷いヤツもいるもんだ」的発想であった。 しかし、その後いろいろと調べていたらその全容が見えてきた。 彼は、「鳩を飼っている」らしい。放し飼いか、ベランダに来る鳩の餌付けか、それはわからないが。 そのために、餌を買ってきて彼ら鳩に与えていたというのだ。 そこで「あれ?」と思った。野生かどうかはともかく、残虐非道のレッテルの裏に「動物を愛する心」が垣間見えた気がするのだ。では何故、ゴキブリホイホイで雀を捕らえるという行為に出たのか? もう少し詳しく調べてゆくと(しかし情報の劣化は早い、あっという間に彼はmixiを退会させられ日記を含む彼のページは削除されていた)、「何故」の部分に答えが出た。 彼は「飼っている鳩」の「餌を食べに来る雀」に対し、敵愾心を持ったのだ。 確かに、やりすぎの感はある。ゴキブリホイホイで捕らえようと、古典的ザル罠で捕らえようと、そのあと翼を捥いで路上に放置したわけでもない限りそれは別に大したことではないが、それを得意げにネットで公開することがやりすぎなのである。 もちろん、「かわいそうである」という思いは恐らく彼にだってあったのだろう。ただし、鳩に与えようとした餌を雀が食べてしまうとしたら、彼の努力は無に帰す。餌だって無料ではないのだ(だから雀も食べに来るのだ)。彼の「他の動物を愛する心」を、「自分の飼っている鳩の餌を掠め取るこそ泥に天誅を」という思いが上回っただけのことだ。 で、いろいろな意見が出たのだろう。 そこに食いついたのがマスメディアだ。最近のマスメディアは基本的に主観で対象のキャラクターを決定し、それに基づいた報道を行い、話題を沸騰させること「だけ」に血道をあげているように思えてならない。 その結果、「雀」「ゴキブリホイホイ」「捕獲」という3単語だけが一人歩きした。火を見るより明らか、mixi事務局は「犯罪者の巣窟と捕らえられイメージダウンすること」を恐れ、彼を「追放」することでmixiの安寧を保った。 その態度は、営利団体としては当然のことであるのかもしれない、でもそれはどうだろうか?彼はmixiを追放されるほどの罪悪を犯したのか? もちろん、「たら」「れば」は過去の事象について言うならばまったくの無意味である。 だがここであえて言おう。 だからって、 一張羅で、結婚式場から新郎新婦が出てくるのを待ち構えている最中、 自分の礼服に鳥の排泄物が落ちてきたとして、 貴方は笑って許せるか?その瞬間、自然の摂理だと受け止められるか? スピーチをしようと口をあけた瞬間、その口めがけて鳥フンが飛び込んだとしたら? 貴方が家族と認め飼っているパピヨン(もちろん子豚でもアメリカンショートヘアでもゼニガメでもいい)が、 次第にやせ衰えていくとしたら? 餌は毎朝毎晩与えているにもかかわらず、毎朝毎晩綺麗に皿が空になっているにもかかわらずやせ衰えていくとしたら? もう少しわかりやすい例を挙げようか。 あなたの息子が、娘が、不可解な傷をつけて帰宅するようになったら? 何かしら話せない悩みを持って、ただし精神も肉体も磨り減っていくのを見つけたとしたら? -貴方は黙って見過ごすことができますか。 彼は、確かにやりすぎたかもしれない。調子に乗っていらんことをしでかしたのかもしれない。 ただ、彼は間違ったことをしたわけではないのだ。 彼の飼っている鳩に、彼の金で買った餌を与えた。ところが、(やせ衰えるまで行くかどうかはともかくとして)雀がその餌を食べていくのだ。つまり、与えただけの餌を彼の鳩は得ることができずにいたのだ。 私は動物が好きだ。雀、ツバメ、羽化したてでまだまっすぐ飛べないアオスジアゲハ、道路の真ん中を必死に這っている青虫、木の枝から落ちてしまって戻れずブロック塀の前で右往左往するアオダイショウ、果ては立ち話の最中ふくらはぎを上ってきてしまったありんこ一匹にしたって、生命は生命。 その尊さを知っているから、できるだけ対等の立場で考える。 そしてもちろん、自分の庇護下にあるものの生命財産を脅かすものはすべからく敵なのである。 それを考えたら、少なくとも彼を責めすぎることはできないのだ。 生きる、とは戦うことだ。 みんなそれを忘れている。 彼の鳩も、その点を忘れていたんだ。 ・・・・と、長い前振りをおいて本題に入ろう。 クルマにかかわるものすべてが、一度は腹立たしく思ったことがあるだろう。鳥の糞害だ。まさにフンガイものだ。 洗車して、気分よく出かけようとしたその天井で「てんっ」という音、パタパタという羽音。 まさに怒髪天を衝く勢いで私は振り返る。 もちろん、それは仕方のないことだ。鳥は飛びながらでも排泄をする。そういうものだからだ。 ただし! 電線に止まって囀っている鳥たちは、やりたい放題である。 それは許しがたい行為だ。 そこで、私は銃を持ち出した。もちろん、エアソフトガンである。 殺したいわけじゃない。ただ、近寄らないでいてくれるなら、それに越したことはないのだ。 だから撃つ。近くの電柱を撃つこともあるし、マトモに狙って撃つこともある。当たったところでそんなに痛いわけではない(これは推論である)、生命に危険を及ぼすほどのことはないだろう。 カラスは最近すぐ逃げるようになった。私がリアゲートを開けると、そこから何かが出てくるのを学習したのだろう。 (一度は酷く報復された。黒いはずの、デルタの屋根が白くなっていた。) で、今日はマトモに撃ったほうだが・・・・鳩である。三羽並んで電線に止まっていた。 一発目では気付かない。二発目、もう少し近くを狙った。一羽は飛び立った。 三発目、二羽の真ん中を狙った。そうしたら、右側の一羽の頭部(顎部分)に命中。 彼(彼女?)はバランスを崩し、電線から落下。あわや墜落死か!と思ったところで、バランスを取り戻し慌てて上昇。 ほっと胸をなでおろす瞬間だった。 もちろん、当てるつもりがなかったとは言わない。当たったら近づかないだろうから。ただ、まさか当たるとは(世の犯罪者の大半も同じことを言いますな)。 ちなみに、私は猫を飼っているが、その猫に対しても躾の一環として一発撃ったことがある。 当時は傍若無人そのもので、手足に穴が空き、手首には躊躇い傷(引っかき傷)が何本も走っていた。 だから、「噛みすぎたらおまえにも同等の報復を与えるぞ」という意味合いだ。 当然、今では「それが置いてあるだけ」で萎縮し、警戒する。 それが「動物虐待」にあたるとは、私は考えていない。 体罰問題が騒がれ(やはりここにマスゴミの功罪がある)、腫れ物に触るように子供に接した挙句、 いまの若者たちの無気力体質は生まれた。 当然、働かない→金が手に入らない→金を持っている他人を襲う、となるのは当然過ぎる(それこそ自然の摂理だ)。 政府広報で「話そう。こどもと」なんて言っている時点で、このクニに未来はない。 それこそ、 クーデターでも起こらない限りは。 3/1/2007 夢色チェイサーふと、考える。
なんとなく最近「机に向かう」ことが少なくなった。
昔、とりあえず座った椅子。親父自作の、年季の入った木の椅子。
そしてその前には、親父が使った机、モノの隠し場所まで完璧に把握
されている机(どんなに隠しても発見される理由は実はそこにあった)。
それを、僕は毎日使っていた。
その机に向かい、勉強をしたこともある。ただただ本を読みふけって
いたこともある。怒られて悔しくて、ひとり涙を流したこともある。
外から聞こえる子供たちの笑い声、遊ぶ音に耳をふさいで、
宿題と漢字ドリル、計算ドリルを(今思えばすぐやってしまえばよかった
のに)躍起になって解こうとしていた夕方。
クーラーなんてなかった、あの夏の暑い日、
俄かに薄暗くなったとみるや大粒の雷雨。
慌てて洗濯物を取り込みにベランダへ走る。
戻ってみると自分の机が水浸し、そんなのしょっちゅうだった。
でも、なんだか楽しかった。
はじめて一人暮らしを始めた日。
ちゃちなテーブルと椅子、親父が初めて「欲しいといったものを買ってくれた」
CDラジカセ。それが僕の家財道具一式だった。
四畳半の部屋が、なんと広く頼りなく見えたことか。
あのどっしりとしてものいわぬ机の、味のある引き出しの感触が恋しかった。
あっという間に夏は来て、盆地特有の止まった空気の中をあえぐように
部屋へ戻る。
水を飲み、衣類を脱ぎ捨てて床に寝そべる。
西日はきつい部屋だったが、夏はそこそこ快適だった。
そして、次は六畳。
引っ越してまた六畳。
そこからまた引っ越して、はじめて自分専用のトイレと風呂を手に入れた。
もちろん、それも六畳。
今考えると結局、そのテーブルと椅子を使うことはなかった気がする。
コタツ(ただし電熱器故障により放置されていたもので、テーブルとしてのみ機能)
を手に入れてからはもっぱらそれだった。
それにしても、だ。
紙と鉛筆さえあれば、僕はいくらでも暇つぶしができるタイプの人間だ。
実際、今でもふっと思いついたデザインを描き留めるために、いつでも
一本のペンが懐にある。
それが喫茶店のペーパーナプキンだろうが、レシートの裏だろうが、かまわない。
だけど、机に向かって真摯に図案と取り組む、この姿勢がなくなって久しい。
仕事があるから忙しい、なんて理由にならない。
やはり、「衰えた」んだと思う。そう、「創造力」が。
今、昔描いたモノなんかを発見すると、すごく恥ずかしい気持ちになる反面、
妙に懐かしく、また妙に当時の自分に嫉妬したりして、情けない。
高校生当時、小説もどきを書いていたことがある。もちろん、形を成さない駄文。
それでも当時、数人は僕の書いたものを面白い、と言って読んでくれた。
結局、あるひとことがきっかけでその小説もどきは創作を中止。
そこで心が折れたんだ、今の僕はそう言う以外ない。
でも、そこで変に理屈を捏ねるようなものではなかったと思う。
ある種、ピュアだったんだろう。
この間、実家でPCパーツを探していたとき、ある紙袋に目が留まった。
よく文具店などでノートやなんかを包んでくれるような、書店で雑誌を
包んでくれるような、そんな薄っぺらい紙袋だ。
黄ばんだ紙をそっとめくり、中を覗き込んだ。
その「小説もどき」のひとつが、そこにそのまま残っていた。
気がついたら日が暮れていた。
僕は泣いていた。
不覚にも、自分が書いたその「小説もどき」を読んで、泣いていた。
クライマックスシーンまで書いたことなんてない。
当然それも、原稿用紙百数十枚程度。登場人物を描く「序章」から
起承転結の「起」にあたる部分で筆を置いていた。
だから、クライマックスを読んで泣いたとか、そういう話ではない。
・・・・ああ、
この続きは、
永遠に
読めないんだ。
その絶望感から泣いていたんだ。
いや、絶望、というとニュアンスがちょっと違うかもしれない。
寂しいんだ。
不覚にも、僕はその当時の自分の文章を自分で読んでおきながら
ドキドキしていた。
その次のページに現れる文章を心待ちにしていた。
自画自賛?いや、そうじゃないと思う。
おそらく、きっと、
みんな「続きが読みたい」といってくれるんだと思う。
そのくらい本気で僕は文章を書いていたんだ。
僕のセカイを、原稿用紙に書いていたんだ。
そして、寂しさの原因はそこだけではなく、
もっと別の場所にもあった。
-あの頃の自分に、もう、勝てない。
そんな気持ち。
・・・・たとえばモノを知らなかった。
富士駅と新富士駅の違い、とか。
クラッチというモノの作動原理とか、その有効な利用方法とか。
でも、
そこには
夢があった。
僕は夢を描いていたんだ。
そして、その夢は、
もう
見られないんだ・・・・。
もう、文章を書こうとは思わない。
常に自分に逃げ道を設け、常に理論武装をし、常に自己を正当化し、
・・・・そんな文章、誰が読みたいんだ?
なにより、俺が読みたくない。俺が書きたくない。
そう、一人称が「俺」になった時点で醒めてるんだ。
夢から。
・・・・実は、その話には続きがある。
その思い出を読んで、数日経ったある晩。
-僕は夢を見た。
そう、「続き」をだ。
思い描いていたセカイで、
思い描いていた登場人物たちが、
思い描いていた通りに
動き、泣き、笑っていた。
その朝。
ものすごい充実感とともに、僕は目覚めた。
目覚めて、
自分の頬が涙で濡れているのに気づいた。
生まれて初めての経験。
そして、それが、
また僕に「夢に向かうチカラ」をくれた気がする、。
今はまだ、なにも書かない。
でも、きっと、
いつか僕のエンジンはまわりだす。
はじめは静かに
そして涼やかに
そして
いつか
・・・・轟きながら。 2/20/2007 サバイバルゲームがしたい。さて、そろそろ誰も見向きもしなくなったこのボログで私的なことをつらつらと。
サバイバルゲーム、エアガン、BB弾、といったもの。
とくむはもともとピストルが好き。
ま、ピストルに限らず(パーカッションライフルとか西部劇風に撃ってみたい)だけど。
そんなわけで、親が銀玉鉄砲すら許してくれなかった少年時代からあこがれていた。
そんな中、東京マルイがエアガンとしては画期的に低価格な「1,900円シリーズ」を
出してくれた。
で、親の目を盗んでS&WのM645を買(ってきてもら)う。
当時としては最新鋭のオモチャだった。神社の境内で撃ち合いをしてた。
そのころはまだ周りもうるさくなくて、ゴーグルもなしで遊んでいた気がする。
もちろん、親にはすぐバレて没収された。
それでもどうしても欲しくて、お金を必死でかき集めてワルサーP.38とかルガーP.08、
コルト・コンバットコマンダーなど色々試した。全部すぐ没収され、捨てられていた。
(一度など8,800円シリーズのM16まで買ったんだけど、やはり捨てられていた)
そして、目標は変わっていく。
エアガンは一発一発コッキングして、エアポンプのピストンを押し縮める必要があった。
それが、それをしなくてもいいガスガンに狙いが移ったわけだ。
軍事費には限りがあるので、そうそう好みのものが買えるわけではないが、
最初買ったのは確かマルシンのワルサーPPK/sだったと思う。ステンレスモデル。
ハンマーを起こすわけにはいかないが、撃つときぴょこんとハンマーが動いたり、
安全装置が安全装置としてちゃんと働くところなどが気に入っていた。
そして更に加速する。
世の趨勢はリアリズム重視に変わってきていた。実銃から寸分違わず採寸したり、
ブローバックというアクションを機構として採用したりした。
とくむの中で衝撃だったのは、WA(ウェスタン・アームズ)の「マグナ・ブローバック」
というもので、SHORTY・40というモデルが初めてのモデルだ。
ただ、当時僕はタナカのコルト・380オートに惹かれ(手が小さいので)、それが
ちゃんとホールド・オープン(残弾がゼロになるとスライドが開いたまま止まる)する
のが嬉しくて、潤滑もロクにしないで撃ちまくっていた(壊しました)。
それ以外にもMGCのM92F(HWモデル、固定スライド/サイクロンバレル)を買ったり
同じくMGCのM93R(これまたHWモデル、固定スライド単発のみ、ノーマルバレル)
を買うときに消費税に泣いたり。
でも、メーカーを忘れたがCz75のライブカート・ブローバックモデルは凄かった。
陶酔するくらいの魅力があった。
そういえば、長モノは東京マルイのエアM16以外は買わずじまいだった。
エアタンクを背負ってAK74を撃ちまくる友人や、ガスタンクを手で暖めつつUZIピストル
で弾をばら撒く友人を、故・大空のサムライに倣って「見越し射撃」で撃破するのが
楽しかった(もちろんその頃は周りもうるさくなっていたから回数は少ない)。
勢いよく世界が回り始めたのは、東京マルイが「電動」を出したときだ。
ガスはタンクが冷えると急激にパフォーマンスが低下する。
エアタンクはそれが緩慢だが、溜めるのが手間だったり嵩張ったりする。
長モノを持つ友人をピストルで撃破するのはそういうときだが、それが
電動になって一気に変わった。
これは、初代がFA-MASと、登場した瞬間にセンセーションを巻き起こした。
当時M16系(それもM203グレネードランチャ装備)こそ最高のデザインバランスと思っていた
自分にとっては、最初FA-MASはとてつもなく不恰好に見えたものだ。だが、そのデザインに
隠された(実銃の)高性能さに気づいて、俄然興味をもった。
(あ、今でもM203つきM16は欲しいですよ)
そして、偶然他のクラスでそれを持っていた友人が譲ってくれたのだ。
同じクラスにラジコンをやる友人もいたので、バッテリについての知識は彼から学び、
FA-MASをとても大切にしていた。
そのあと、大学に入るときFA-MASを担いでいったくらいだ。
しかし、大学ではあまりそういう「地」を出す人間がおらず、そのFA-MASはいつしか壁の
オブジェと化していった。
そのFA-MASは一度2挺に増え(サークルの友人から頂いた)、そのあと某研究室の友人が
借りていき(研究室対抗サバイバルゲームだったらしい)、研究室に保管していた。しかし、
気がついたら誰かがこっそり持ち帰ってしまっていて所在不明になってしまった。
しかし、運がよかったのは借りていった友人が、その際銃を新調していたことだ。
シュタイアー・マンリッヒャーAUG。本人がFA-MASのお詫びに、「きっともう使わないから」と
ほぼ新品のそれを譲ってくれた。ここでも嬉しいことに、AUGは昔から憧れだったライフル。
(その後レシーバをスペシャルのものと換装し、今ではtascoの3~9x40スコープを乗せている)
その頃になって、周りの友人たちが意外と「サバゲに興味がある」ことが判明。
さあ、そこからがオトナの、オトナによる、オトナのためのオトナ買いのはじまりだ。
もう猛烈に買いまくった(BB弾やガスは箱買いでした)。ただ、コレクションではないから
中古だろうと構わない、という勢い。
そしてついにWAがうちに来た。ベレッタM8045クーガーF。中古ではあったけれど。
夜戦主体になる夏、夜光テープをフロントサイトに貼ったこのクーガーFは「夜の帝王」と呼ばれる
ほどの撃墜率を誇り、いまだにメインウェポンの座にある。
逆に、AUGの出番がないくらいに。
ワルサーP99もついつい買った。某アニメで影響されて(笑)。
実戦投入はまだだけど。
あとは、MP5A4を知人から頂いた。職場のカラス撃退用として常備している。
おまわりさんに止められないことを祈ろう。
ついでに、誰かサバゲやろうよ。誰も見てないだろうけど。w 2/19/2007 計算してみる。・・・・皆さんも如何?デルタというクルマの維持費、というやつを。
まず、6.8km/㍑(レギュラー)という大前提でハナシを進めよう(あまり関係ないけど)。
長距離走ればよくもなるし、爽快感を求めれば悪くもなる。冬はアイドリングが長めだから余計に。
で、うちのデルタがレギュラーで走る、コレはもう最たる利点、美点である。
だから、120円/㍑換算で・・・・2週間に1回、もしくは1週間に1回(遠出があった場合)満タン給油する。
これは「5週間に3回」とざっくばらんに換算しておく。
年間が365日、35日で割ると約10.4になる。その5週間で3回給油するわけだから、年間給油回数は
その3倍ってことで31.2回、まあ32回としよう。
満タン給油はだいたい55㍑入る。32倍すると、1,760だ。つまり、年間2㌔㍑弱のガソリンを消費するわけだ。
120円/㍑として計算すると、211,200円。ま、洗車代とか入れれば250,000円と考えていいですな。
これが、年間燃費。15,000kmくらい走るから、㌔あたり83円(アルミと同じくらいか?いや単位が違う)。
その上で、オイル交換等の雑費。ま、3ヶ月に1回だから年4回、オイル代とフィルタ代とで15,000円/回
みておけば夏冬のLLC交換代や春先のミッション・デフオイル交換にも回せるから。年60,000円ね。
そして、タイヤ代は2年で5万、だから25,000円/年としておこう。別に高性能タイヤをチョイスするほど
タイヤの性能差がわかるわけじゃないので、ま、そこそこのタイヤでいいし。
駐車場代も計上しよう。8,000円/月で、年96,000円。
ここまでで、406,000円。修理がなかったとして、これだけかかる。燃料代の比率がでかいですな。
んで、「納得のいかない維持費」のほう。
要は、税金だとかそういうもの(ガソリン代に含まれるガソリン税はガソリン代としてガマン)。
うちのデルタは5ナンバー、小型乗用車。ただし重量は1.3㌧。重いねぇ。
これで、重量税(2年分)が37,800円。年額に直すと、18,900円。
更に自動車税には「経年車割り増し」がかかっているので、泣ける。まあ、ある意味誇りではあるけど。
というわけで、自動車税は1割増しで年間43,450円もかかる。
そして自賠責保険だけど、継続車検時は25か月分加入するので31,720円。それを年に割ると
15,860円だ。
で、まあ、自動車税を除く部分は車検時に2年分一括先払いなので、自転車操業的なとくむには
キツい数字がぽんと出るわけで。貯めないと・・・・。
とはいえ、これらを年額でまとめると78,210円。それに自動車保険を加えると(とくむは新規で
昨年11月に入り直したので6等級新規、年額72,720円)合わせて150,930円。
維持費全体で合計してみる。
556,930円。
故障せず、事故を起こさず、でもこれだけかかる。まあ、この場合燃費の多寡がどれだけ維持費に
影響を与えるか、っていう現実が見えるわけだけど。
ところが、これを日額に換算すると、たかだか1,526円になるのだ。
そして、「日に1500円の努力でデルタに乗れる」とすれば、なんだってやっていける。
食事代、煙草代、飲み物代、ちょっとずつ切り詰めていけば、その1,526円を減らしていける。
例えば職場で休憩のとき缶コーヒーを買うのではなく、インスタントコーヒーを買っておいて飲む。
煙草は「2日で1箱」と決めたら、2日目の朝残が3本でも新しく買わない。
そういう努力で、恐らく日に1,000円くらいまでは減らしていける。
ま、減らす減らさないは別として、これだけのクルマを維持するのに、1,500円/日なら安いほうではないか。
レンタカーだってその値段では借りられないぞ。
しかも、長く乗れば乗るだけ、購入価格を償却していくことになるんだから。
(ちなみに、前年分でもう購入価格をはるかに上回っております。あほだ、俺)
みんな、燃費の良い最近の軽自動車やコンパクトなんかの謳い文句で牙を抜かれるな。
乗りたい車があるなら、諦めるな。
年収にすると他人には言えない仕事でも、なんとかなってるよ。
だから、多分大丈夫。 2/18/2007 面と向かっては言えないようなもの。(///フ///)そこに在る、ただそれだけで。 こころを奮わせる、その佇まい。 -他のクルマなんてどうでもいい。 -他人と比べるなんておこがましい。 僕はいま、 このクルマと、 人生を、 ・・・・共にしている。 それだけで、 充分すぎるほど、 しあわせだ。 吐く息が白く見えれば見えるほど、 「彼女」は僕を駆り立てる。 姦しく囀るアイドリング音は、 ひとたび踏み込めばたちまち勇猛な旋律を奏でる。 ・・・・ランチア・デルタ・H.F.インテグラーレ。 世界を6度にわたり背後に従えた、「スーパー」ファミリーカーだ。 ・・・・水温は? -適正値。 ・・・・油圧は? -問題なし。 ・・・・そのほかまとめてオールOK。 -では、 いこうか、 相棒。 ・・・・そして、僕たちは旅に出る。 -2007年、世界から解き放たれる日- 日常を、日常で、終わらせない。 -僕であるために。 ・・・・ちょっとデスネ、神野さんとこの一周年記念で書き込む「気の利いたヒトコト」を考えていたらいつの間にかこんなものになってました。正直、我ながらクサすぎてイカン。 もし、コレ見て「気に入ったフレーズ」があったらどうぞお持ち帰り下さい、神野さん。 それをもって「お祝いのひとこと」とさせていただきますので。(なんて投げやりな!) ※苦情、ご意見、ご感想はご自由に是非。 12/26/2006 特務曹長の歴史:第一部「目覚め」最近デルタが話題を提供してくれない(いいことだ!)ため、(笑)
最近たまに懐かしく思い出す若かりし頃の思い出をつらつらと。
(昔を懐かしく思い出すようになったら年寄りだそうですから、実年齢は
敢えて気にしないで下さい)
思い起こせば小学生中学年の頃。
普段通いなれている小学校からの帰り道。
信号待ちの僕の目の前を、一台のクルマが通り過ぎた。
だが、普通に通り過ぎたのだったら、恐らく記憶に残ることなどなかっただろう。
そのクルマは、
勢いよく、
タイヤをアスファルトに切りつけるような鋭さで、
ガードレールすれすれを切り込み、
タイヤを鳴らしオーバーステア(今だから言える)で左折、
白い残像を僕の目に残して走り去った。
それが、
トヨタ・MR2との出会いだった。
トヨタ・MR2。型式E-AW11。エンジンは後世、名機と謳われることになる
4A-GE(LU/横置きだから“L”が入る)。
白いボディ、バンパ及びサイドスカートの黒、コンパクトで低く小さなボディ。
所謂初期型である。
父のマークII(多分)と母のミラ(確か)、それから隣の家にあったバン(ホンダか?)、
そのくらいしか知らなかった、否、興味がなかったその時代に、
MR2は本当に白い衝撃で僕を打ちのめした。
当時はなんの知識もなく、「あのカッコいいクルマはなんていうクルマだろう?」という
興味だけに後押しされ、必死になって新聞広告をひっくり返してみる。
あった。
みつけた。
そして、オトナになったら絶対手に入れてやる!と誓ったのだ。
ただ、その当時の記憶は定かではない。2~3年経った頃、MR2とマークIIを取り違えて
記憶していたくらいだから。
ただし、その衝撃は、15年後に僕をまた駆り立てることになる。
順当に高校で生活していた頃、周りには車好き(まあ、憧れだが)が少なからずいた。
特に、実家が自動車の修理工場をやっていた子がすごく詳しかった。
まあ、彼の部屋から見下ろせるところにヤナセのディーラーもあって、彼は外車に
並々ならぬ興味を示していたのだが。
ラジコンにエンジン方式のものがあることなど知らなかったし、あの雨のサーキットで
フロントタイヤを片方失いながらもピットに自力で生還したR32GTR(カルソニック)の
話すら聞いただけの知識だったが、彼はとても詳しくいろいろなことを知っていた。
その彼に、僕は「91年輸入車総合カタログ(だったと思う)」という本を貰った。
貰ったのが92年だから、彼は新しいものを購入し不要になったのだろう。
絵を描くことが好きだった僕が描くクルマは、どうやら彼にはとてつもなく不恰好に見えた
らしい(笑)。いや、今見ると確かに恥ずかしくてマグマにダイブしたくなるのだが。
それが、僕の現在を動かしている原動力になったといっても過言ではないだろう。
マセラティ・スパイダーザガート、ドンカーブート・スーパー8Aターボ、アルファロメオ・
164クァドリファリオ、BMW・850i、アルピナ・ロードスター、シトロエン・XMなど、今
「ニヤリ」とした人もいるかもしれないが「バブル期のイカス輸入車」が目白押しだった。
その中に、ランチア・デルタはいた。
フェラーリ・348tsと並んでいたから目だたなかったのだが、そのウェッジシェイプに
僕の中のMR2の記憶が蘇った。
ただし、時代はもうAW11の時代ではなかった。スーパーチャージャーを積んだ後期
モデルもカタログ落ちして久しかった。
セリカと同じ3S-GTEを積んだSW20がデビューしていたのだ。
そして、そのセリカはその年も、ランチア・デルタと激戦を繰り広げていたのだ。
そう、そして、
その年がランチアのワークス撤退の年でもあったのだ。
うちでは衛星放送も観られるようになっていたが、僕はテレビを観られなかった。
テレビやゲームに関して親父は厳格で(今となればそれが正論だったことはわかるが)、
だから当時のラリーなどには全く接点がなかった。
書籍でル・マン24時間耐久レースと、アイルトン・セナの死というニュースでF1とを
知ったくらいなものである。
そして、高校を卒業した僕は単身、群馬の大学に進学することになる。
完全に文系のアタマを持つ僕が何故工学部の応用科学・材料工学科に合格したのかといえば、
試験が後期後の二次募集(小論文&面接)だったからに他ならない。
逆に、捨て鉢になって「何故受験したのか」という問いに対して「マッドなアルケミストに
なりたいのです」と答えたことが(当然、なぜ生物化学工学科ではないのか、と問われたが)、
どうやら当時の教授陣の中では「面白いやつだ」と評価されたようである(後日聞いた話)。
ただまあ、大学生活が順調にいったわけではない。
1年の夏、僕は学内で放置されていた原付を修理(といってもエアクリ外して掃除、バッテリを充電、
キャブクリーナという奴をホームセンターで買って燃料タンクに投入、という程度)して学内の移動に使って
いたのだが、走っていたら駐車場から勢いよく出てきたクルマに驚いて転倒し、茂みに突っ込んだ。
そのとき、木屑がどうやら掌に刺さったのだが、これの処置がいい加減であった。
大学の保健管理センターから紹介状を貰って大学の医学部付属病院へ行ったのだが、すごく杜撰な
診察をされ(異物感を訴えても「レントゲンには何も映っていないので大丈夫」との診断であった)、
ほとんどガス壊疽に近くなるまで化膿止めと痛み止めだけが頼りだった。
その間ずっと高熱が続き、後期が始まっても授業を受けるどころではなかった。
そして5週間が過ぎた頃、担当の医師(第2外科であった)が匙を投げ、「1フロア上の整形外科へ行って
下さい」といわれた。毎回傷口のガーゼを抜き、自転車のスポークほどの太さの金属棒で膿をかき出す
(当然麻酔などないから激痛である)作業に飽きたのかもしれない。
そして、整形外科でげっそりしていると医者は傷を一目見てこういった、「何故こんなになるまでほっといた
んだ!肘から切り落とさなきゃならんぞ!」と。いや、毎日このひとつ下のフロアにいましたけど・・・・。
まさに青天の霹靂である。青くなったのは言うまでもない。その当時の僕の愛車は自転車で、それも気張って
買ったプジョーのマウンテンだったからだ。片手なしで運転できようはずもない。
即日入院が勧められ、当然入院、手術となった。
ところが、どうやら僕は麻酔が効かない体質のようで、通常の3倍以上の麻酔を打たれて(麻酔薬を打つ作業が
3回繰り返されたので恐らくそうであろう)痛みを感じなくなっても、表皮を切り開き、中を探る作業はずっと感覚が
残っていたので、医師(インターン含む)と看護師(恐らくは看護学生)などと会話を繰り返し、途中尿意を催した
ときなど「あ、ちょっとトイレ行ってきていいですか」とベッドから起き上がろうとしたくらいである。
当時の初心な僕にとって尿瓶は最大の屈辱であったし、そのときだけは若く綺麗なオネーチャンが悪魔に見えた。
敢えてそれは端折るが、実際その尿瓶は自ら添え使用した。
実際、そのときの手術ではギターピックを一回り小さくしたくらいのサイズで厚みが4mm程度ある木片がひとつと
さらにいくつかの木片が発見され、(右手だったので余計困っていた)中指と薬指の感覚がなく(神経が切断されていた)、
なっていた原因がすべてその手術で取り除かれた。
実際、手相というか掌の皺に合わせて切開してくれたおかげで、14針もの傷口だったのだが、たいして目立たない。
そのあとは若さもあってすぐに回復した。翌日の朝、急患のためベッドがないので退院してくれますか?といわれて
わかりました、と右手をギプスで固められたまま自転車に乗って帰ったくらいである。
ま、その関係で後期授業は受けられず、1年→2年でキャンパスが変わるため、その「半期分」はずっと僕の足を
引っ張ることになる。キャンパス同士が35km離れている、バスも電車も最大2~3本/h、なにより駅から遠い・・・・。
休学という行為を知らなかったこともあるが、そのときは「通って取ればよい」と考えていた。ならば移動力が必須だ、
ということになり、バイクの免許を取ることに決める。
バイクに関しては別の機会に譲るけれど、更に困ったことに群馬では雪が降るのだ。
そうすると、バイクはとたんに移動力としての力を失う。それでは困る。実際、当時バイトしていた伊勢崎オートレース場
でも「降雪のため開催を中止」というのが一回だけあった。
しばらくは、バイクさえあればクルマはいらん!という認識の僕だったが、実家から群馬に戻って、アパートへの20mに
45分かかったとき、ついに諦めた(主要道は雪などなかったが、その道には雪がそのまま残っていたのだ!当然、
そこで転倒し、小学生に見物されながら起こし、じわりじわりと坂を上り、全力で疲弊して自宅へ。辛かった)。
そこで、当時バイトしていた伊勢崎への道すがら、整備工場においてあったMR2が意識の中で急激に浮上する。
クルマを買うことを決意したあとは早かった。そのとき既に僕は23歳。遅い四輪デビューである。とはいえ、
それ以前に、友人と乗り物を交換するというのも何度もやっていたから(その友人はその後バイクの免許を取得)、
MT車の操作には自信があった。
伊勢崎での仕事はテレビカメラでのレースの撮影で、そこそこ収入になった。それと、ちょっと危険はあったものの、
新薬(後発薬)の被験体をやったりして(三食昼寝つき、但し注射が苦手な方は危険!15分おきの採血とか結構辛いよ)
一気にカネを貯めた。その上でその修理工場にお邪魔し、「譲って欲しい」とお願いしてみた・・・・と、こ、ろ、が。
「あれはダメだ、売り物じゃないよ」
おやじさんはそう言って目を細めた。僕は当然がっかりした。仕上げ済みで中古車店の店頭に並ぶMR2は、当時も
そこそこの値段だった。特に「頭文字D」と平行して「オーバーレブ」という漫画が始まってから、MR2の人気も何故か
上がり(上がることを見越して値上げした、と考えるべきだろうか)、予想より高額で取引されているようだった。
だからこそ、しばらく工場の前に放置されているように見えたそれを安く譲ってもらいたかったのだが。
そこで、僕は落胆して帰ろうとして、「じゃ失礼します」と言おうと顔を上げた。
だが、そのとき、そのおやじさんは、じっと僕の様子を見ていて一言、こういった。
「MR2“が”好きなの?」
僕はそこで、なんとなくそのおやじさんの言いたいことがわかった気がした。当時、ハチロクがとことんもてはやされ、
AE92レビン/トレノ、AE101レビン/トレノが(同じエンジンを積んでいるという理由から)その「部品取り」として使われて
いたことを僕もそこそこ知っていたからだ。特に、あとで知ったことだがそのMR2は後期スーパーチャージャーで、
既にエンジンをブローさせた(ハチロクに乗る)近所の若者が、スーパーチャージャー付きエンジンを自分のハチロクに
積みたいといって買っていった残りのガラだったのだ。
だから、僕はこう言った。
「MR2“に”乗りたいんです。小学生時代からの夢だったんです」
少々考え込むそぶりを見せたおやじさんは、無言で顎をしゃくって工場の奥に僕を誘った。
そこには、多少埃をかぶっているものの、もう一台のMR2が。
そう、僕の初代戦闘機となる初期型MR2、僕の記憶に鮮烈に刻まれた「あの」MR2だ。
「俺もな、MR2好きなんだよ。今、こいつを直して乗ろうと思っているんだが・・・・」
もしこのおやじさんが「価値を吊り上げるために」演技をしていたというのなら、すばらしい演技だったと思う。
でも、演技ではないと心の底から信じられる。
「・・・・しょうがない、どうせなら兄ちゃん、これを譲るワ」
おやじさんはそう言ってくれた。
実際、僕はおやじさんと値段交渉をしたわけではない。
値切ることなんて考えもしなかった。少なくとも当時の相場よりだいぶ安かったからだ。
「ありがとうございます、ではお願いします」といって、その場を辞しただけだ。
そして、数週間が過ぎ(書類揃えるのに僕が手間取ったためだ)、僕は一本の電話を受けた。
「クルマ、できたよ。○○万になるが、いいかね?」
今考えれば恐ろしいことではあるが(笑)、総額の値段はあとで聞いた。
もともと、学生で定収入はないこと、ただしバイトでそこそこの収入があり頭金も用意してあることは伝え、
それをおやじさんも了承したうえで大体かかる金額を聞き、その上で信頼してお願いしたし、しかもだ、
「僕はまだ四輪の免許を持っておりません」
ということも伝えたうえでのことだからだ。
まあ土地柄もあって、クルマはそこそこ必須だし、学生のうちに免許は取るのが当然だったから、
「俺は兄ちゃんが免許ないってことは知らないからな、捕まっても知らんよ」
という話はしていた。
それで、その次の日、僕はそのMR2を取りに行った。友達のサイバーCR-Xに乗って。
そして、改めて説明を受け、鍵を受け取った。更に、競技用5ZIGENのマフラーとHKSのエアクリなども
頂いた。後日その部品取り車まで戴けた。今考えるとすごい好待遇だった。
値切らなかったことも理由のひとつではあるだろうし、部品取りも邪魔だという理由なんだろうけどw
その後免許を取った当日ボンネットを榛名の山奥に捨てる羽目になったのだが(笑)、その翌日部品取り
車からボンネットを移植して事なきを得たのだ。
ここから、「クルマは部品取り車があればなんとかなる」という生き様が生まれたわけである。
初期型MR2、憧れのクルマだったから、大切に乗っていた。免許を取り、そしてオーディオを換え、
(そのカセットデッキ&CDチェンジャ、スピーカは今もデルタで健在である)・・・・だが何個もヒューズを飛ばしながら
貰ったフォグランプを取り付けたり、タイヤ交換ブレーキパッド交換、オイル交換、などを・・・・やったのは
実は2代目MR2のことだったりする。
実は、3ヶ月で廃車にしてしまいました、初代特務仕様偵察車両。
腕もないのに峠に走りにいって、初心者が陥りがちなスピンを喫し・・・・そうになり、いやしかしリア駆動だ、
ここでカウンター!とKiaiのフルカウンター。アクセル、オン!とやったところ、スピンは回避。
ただし、そこで減速しておけばよかったのを僕は調子に乗った。
おっしゃあああ!と全開持続。その直後、異変が起きた。
カウンターの振り返しがドンときた。足回りを固める予定でカタログを取り寄せていた矢先の出来事だった。
連続した振り返しは次第に振幅を増し、最終的にはコントロール不能に。縁石にヒットしたMR2はそのまま
宙を舞い、縁石の上を横になって滑った。
その時点では、「せいぜいホイルと左リアの足回り、軽い板金で済むだろう」という認識だったが、
左向きに滑っていく助手席の窓を眺めてぎょっとする。
電 柱 !
直後、MR2は左ドアから電柱に激突。
瞬間的に全ての窓が飛散した。Aピラーがひしゃげ、ルームミラーがその中から弾丸のようにはじけ飛び、
僕はWILLANSの4点シートベルトの中で衝撃に呆然とし、そのうち可笑しくなって大声で笑いはじめていた。
なにせ、
その間、
CDチェンジャは狂ったように大音量でユーロビートを流していたのだ!あの衝撃の中音飛びもなく!
戻ってこないことを心配した後輩が見に来たとき、僕は狂ったと思われていたらしい。
でも、別に狂ったわけではなく、「あ、生きてる」っていうのと「やっぱMR2で無茶しちゃダメだぁ」ということが
実感としてカラダに染み込んでいくところだったからだ。
そのあと、そこを走る仲間内で知っているお店に「同じ年式のMR2があるよ」ということで、親にバレたくない
僕はそれを購入。これが、2代目MR2「Alice Winchester」になった。まあ、全塗装でホワイトパールになって
いたし、なによりもムーンルーフつき、足回り、LSD入り(購入に踏み切ったのはここが一番でかかった)という
ことで、親にバレることは必至ではあったがこれを大勉強してもらって購入した。
第一部 完!
11/25/2006 猫と、カメラと、デルタと。めっきり冬らしくなってきた昨今。
皆様如何お過ごしでしょうか(誰も見てないでしょうけど)。
今日はすっきり晴れた朝の空に、くっきりと霊峰・富士が
浮かび上がっていて、やる気が出ました。
そんなのは お い と い て
猫の話題。
ええ。雑種の元ノラちゃん。ノミもついていたし、下痢するので
見てみたら寄生虫もいました。2005年の春生まれ、現在2歳。
ま、あまりに愛らしい(最近は小憎らしいんですが)佇まいに
瞬殺されて現在に至りますが(拾った方から譲って頂いた)・・・・
最近寒くなったのもあって、やたらと人肌に擦り寄ってきます。
もともと無言系キャラなので、ホントめったに鳴きません。
でも、不器用なこいつが嫌いではありません。
遊び相手としか見られてないので、いやもう常時生傷。
帰ると攻撃を受けます。それも激しいやつ。
まあ、猫っかわいがりという言葉がぴったりなほど可愛がって
育て(噛んでも蹴っても叱らなかった)、追いかけっこでは負けて
やり(今ではホントに勝てません)、トイレを我慢してでも膝の上
で寝たら起きるまでそのまま、という生活でしたから、最近は
帰ってくると「さあ遊べ」とばかりに飛び掛ってくるわけで。
しかし、このあいだの伊那オフで思ったこと。「猫派多いな」と。
自分は犬も嫌いではないけど、苦手です。
あの眼を裏切ることはできないから。
あの切ない鳴き声を放っておくこともできないから。
その点、猫は意外とタフ。
甘えてきても、ある一定の蓄積ができるともういいらしく、
さっきまで喉を鳴らして喜んでいたのが、突然噛みます。
ヘタすると喉を鳴らしたまま噛みます(笑)。
まあ、それも一種の甘えなんでしょうけどね。
出掛けて一日留守にすることなんてザラですが、そうすると
一日中不貞寝してますね。帰ってきても、そ知らぬ顔です。
・・・・ただ、トイレ我慢するんだな。おこげは。
そういうときは、帰ってくるとまずトイレに行きます。
そして、ご飯を食べ始める。そんな感じです。
飼っている、という感覚ではないかもしれない。
同居してるだけ。主従関係がはっきりしている犬と違って、
猫はあの小さな体に有り余るプライドを持っています。
むしろ俺の方が偉いんだぞ、という態度をとる。
でもまあ、寝姿は可愛いもんです。返事はしっぽでします
から(くしゃみをすると鳴いてくれるけど、呼んでも鳴かない)。
昔は寝転んでいるとその胸の上に登ってきて寝たもんだけど
最近それがないのは、やはり成長したのだろうか・・・・。
今日もまた、たぶん生傷だろうけど。
それをほのかに期待している自分がいます。 11/24/2006 どんどん自分色に染まれ→デルタ。ずいぶん長いこと、ウマに乗ったまま絶賛放置中のMR2。
デルタの純正シートはだいぶスレてたので、MR2に使っていた
sparcoのspeed(一番安いやつだ)に付け替えて、以来放置だ。
そろそろ見切りをつけて処分することを考えなくてはならない。
それはともかく、うちのデルタはハンドルのチルト調整機能が
半分死んでいる。純正ハンドルにバケットだと、乗り降りが著しく
難しい(いつもハンドルは下に落ちているため)。
で、MR2時代に知り合いの車屋さんから安く譲って頂いた
NARDIのガラスポーツに換えることにした。
ところが、みなさんご存知のとおりデルタの純正ハンドルボスは
momoステ用の穴しか空いていない。
だから、どうしようかと迷ってはいた。
純正ハンドルは、使えば使うほど良さが伝わってくるつくりだ。
非常に丁寧に作ってあるのがよくわかる、いいハンドルだ。
いまそこら辺で売っているハンドル類なら、恐らくデルタの
純正ハンドルを捨ててまで選ぶ理由はないと思う。
MARTINIラインの入っているsparcoのディープコーンなら
迷わず飛びつくかもしれないが。
クラッチを奥まで確実に踏むために、シートは常に最前端。
よく聞く「手長猿ポジション」とは程遠いのだが・・・・やはり。
スペーサをかましてでもNARDIがつけられるようにしたい。
いったんNARDIを使うと、その繊細な細さがたまらない。
Dシェイプは好き嫌いあると思うけれど、常にハンドルは
センターで停車する自分には、Dシェイプの乗降利便性は
捨てがたい。
故に、FETのボススペーサを注文した。
NARDI←→momo変換スペーサで、3,000円しなかった。
こんなものがあることもついぞ知らずにいた自分が笑える。
そして、ついにデルタのコクピットが「特務仕様」になった。
Dシェイプにすると、アライメントセンターが狂っているのが
一目でわかる、いわば諸刃の剣だ。
事実、ほんの少しセンターが右にオフセットしている。
まあ、中央道ぬおわkm/hでハンドルから手を離しても全く
微動だにせず直進をキープ(理由はいろいろあるだろうが)
できた車であるから、これはトーとキャスターを調整すれば
改善するだろう些細な問題である。
それと、デルタ現代車化計画の一端として、某所で告示の
あった「ETC無料導入支援キャンペーン」によって取得した
ETC車載器をついに設置した。
思わず仕事の後で清水→富士間をテスト走行したのは、
言うまでもない(正直ドキドキしながらだったが)。
自分は電源分岐用のエレクトロタップというやつが嫌いだ。
安直に過ぎるし、なにより接触不良やねじれ断線の原因に
なりやすいものだからだ。
そうはいいつつも、先だって取り付けたキーレス&アンサー
バックは、スペースと配線長さの関係上泣く泣くそいつを
盛大に使って取り付けた。まあ、今のところ問題はないので
(もちろん、どんなものでも「使いよう」ではあるし、取り付けの
基礎さえ間違えなければ問題は起こらないともいえる)、
コレに関してはよしとする。
話題がそれたが、そのエレクトロタップをACC線にかませて
電源をとるようETCの説明書には指示されていたのだが、
それはやめにした。
どうしたかというと、シガープラグのガラクタを引きずり出して
ギボシで結線しただけ、なのだが・・・・これによって、不必要な
ときにピーピー鳴ったりするのが防げるのもあるし、いざと
なったら車載器ごとスパッと取り外しが可能だという利点もある。
このあいだcarozzeriaの小型ウーファーを取り付けようとしたら、
デッキが古すぎて「リモートコントロール出力」がなかったことと
デッキからRCAピンでの音声出力がなかったことから諦めた。
それでなくてもデルタの荷室は決して広くはないので、そこそこ
場所をとるウーファーをどこに置くのか?となると余計に悩む
ことになりそうで、却下したのだ(リアトレイに置くと絶対たわむ)。
で、たらいさんが「ツィーターを置くと意外と音がよくなる」という
記事を書いてらしたのを思い出して、ツィーターを探した。
そしたら、KENWOODのツィーターで、お客さんがくれたブツが
転がっているのを思い出した。
デッキもスピーカーもcarozzeriaなのにツィーターだけKENWOOD
かよ、という突っ込みもあるかもしれないけど、いいのだ。
あくまでも設置テストなんだから・・・・設置テストのまま終わるの
だろうけど。
しかも、オーディオに関してはすごい結線をしてることに気づく。
無頓着なのと、なにより無精者なので、ローパスフィルタなんて
用意しないし、抵抗も完全無視、フロント用出力を2分岐してある。
耐震対策なんて設置用の両面テープを6枚重ねで貼り付けてある
だけ。よほど長距離を乗るときでもないと、CDチェンジャーもまず
使わない(眠くなるとユーロビートかUP系アニソンだったりする)。
だから、たぶんみなさんあきれるんだと思う。
だから、たぶんみなさんに同情もされるんだと思う。
でも、なにより安く楽しめればそれでいいのだ。
たぶん、自分の人生は自分しか楽しめないんだから。
とりあえず、なんとなーく写真をまたUPしてみる。 11/20/2006 遅くなりましたが昨日「こやぶ竹聲庵」さんでのデルタオフに参加された皆様。
本当にお疲れ様でした。そして、とても楽しいひと時をどうも
ありがとうございました。
相方も非常に楽しんでおりました、なにせおそらくこういった
イベント的なことが「起こる」車は初めてだろうからです。
自分は、親戚の兄貴が昔A112アバルトを所有しており、その
流れからイタリア車というものに興味はもっていました。
その当時乗っていたのはAW11初期型、ムーンルーフ付で、
あまりに思い入れが強すぎて未だに駐車場代を搾取されて
おります(早く捨てろ>俺)。
そのA112を僕の知り合いの方が引き取って、そのまた知り合い
の方が2CVを購入し、その2CVに3人で乗って「フレンチ・ブルー」
に一度だけ行ったことがあります。
シトロエンDSの豪快なパワースライドなんか、見たくても見られる
もんじゃないものまで見せてもらいました(なぜかDSは知っていた)。
でも、実家すぐそばの三保園ホテルで毎年行われるというMR2の
ミーティングには参加したことがありませんw
なんか、手前味噌会になるのがオチだろうと思ったからです。
で、自分はMR2を「実戦車両」として扱っていたため見栄えも悪く、
とても顔を出せるような状態ではない、と勝手に線を引いていました。
でも、デルタを買ってしまってから。
無性に「誰かのデルタと並べたい、みすぼらしいけどデルタはデルタ」
っていう思いが募ってきました。
特に、たらいさん、kimkimさんといった大御所をはじめとする各種の
ブログを見ると、みんな他人を気にせずマイペースでデルタライフを
満喫されているご様子。
それを見て、一気に心の枷が外れました。
いいじゃん、貧乏人だけど「せっかくだから俺はこのヤフオク産デルタを
選ぶぜ!」という人生でもきっと皆様暖かく出迎えてくださるだろうと。
ええ、みなさんとてもいい方でした。正直涙が出そうになりました。
とても楽しめました。
せめてもの感謝の印におでんを楽しんでいただければ、と思いますw
追記
>たらいさん
負けじと追いかけますのでどうぞお手柔らかに。
人生を楽しむ、その楽しみ方の極意を垣間見た気がします。
>ぼーちゃん&同僚さん(一番喋ったのに名前忘れましたごめんなさい)
企画ありがとうございました。こういった集いにもハマりそうです。
叢荘は楽しんでいただけましたか?(紹介しただけですが)次はひとり一台でお願いします。
>ナカムラさん
おでんを渡し損ねたので次の機会にお届けにあがります。
たぶん次回は一泊予定で酒w(ry
>ueharaさん
娘さんを僕に下さい。(嘘ッ
ホントにみんなで乗れるお遊び用デルタが一台あるといいですよね~。
ハイみんな、倉庫に眠ってる資産出す!出す!
>あらいさん
ロールバー組んだら来期はカップ参戦ですよね?応援に行きます。
僕も一度は全開にして走ってみたいです。今はおっかなびっくりで。w
>ぱお~んさん
グラマラスなコレチに美女ときたら、あとは夜景があればもう最高ですね(何がだ
そこまで探りあいだった空気が一気に華やいだ(気がした)のは、秘蜜です。
>神野さん
靴底EVOはともかく、デルタライフをお互い楽しみましょうね!
僕は15年間想い続けた車を手にしていつでも舞い上がってますw
>走象さん
えーと・・・・綺麗な嫁さんを得、その理解を得、そしてコレチを得、テラウラヤマシス
いや嘘です。でもウラヤマs(ry
番外
>kimkimさん(絶対こんなボログ見ないと思いますけど)
タービンブローとは・・・・とても残念です、一度はkimkimさんの走りを見たいですから
是非来期は観戦に伺います。たらいさんのところで拝見した「サイン入り灰皿の蓋」
こっそり確認させてもらいました。僕の持ってる部品取り車を差し上げますので、
体験走行車を一台作っていただけませんか?(ぉぃ
車検取る必要ないんです。タイヤも擦り切れスタッドレスとかでw
言っていただければ積車借りて取りに行き、サーキットまで運びますw
そうすれば、乗るつもりのある人がどんどんパーツを追加・・・・いやその・・・・w
・・・・ああ畜生、ただ置いとくだけじゃもったいないんだってば!w
※写真は随時アップする予定ですが撮れているかは謎に包まれています。 10/27/2006 最近のあれこれ脅されたわりには壊れなくてホッとしてる。
そろそろLLC交換もしなきゃだけど。
まずはオイル交換だな。
先日、浜松から出品されていたスタッドレス付き純正ホイルを
落札。せっかくなので取りに伺いました。
スタッドレスの程度も悪くなく(ま、今年の冬スキーくらいは耐えそう)
ホイルは純正だけに(これで3セットになりました)マッチングもよいと。
夏用ホイルが欲しいってのはあるけど、これ以上ホイル増やしてもな。
一応スピードライン、OZの中古品かテクマグ(これなら新品も狙える)、
を考えているけど・・・・逆に純正ホイルを塗り替えて頑張るのもいい。
いままでがMRとFFだったから、2本ずつ別ホイルにするのも
よくやったのだけど、さすがに四駆でそれは微妙に危険かな?と
思うわけで。
PCD98-4Hなんてレアサイズ、なかなか出物がないし。
出てもオイラより懐具合のいい方なんて腐るほどいるわけで。
競り負けるのがオチでございます。
16インチ以上のホイルはタイヤ代的にNG度が高い。
17インチなんて履く気が起きません、なにせタイヤ高価いですから。
ワイヤ出るまで履くなんてのは貧乏丸出しでイヤですからね。
ドリフトでもするなら話は別ですけど・・・・w
車高落とす気はないし(それでなくてもなんかFバンパ裏のアルミ製品
一回つぶしましたYO!)、サーキットなんて夢のまた夢、なによりも
早く「初期化」してやらないことには今後に支障がありそうです。
で、とりあえずそのタイヤを取りに行った際、「もし何かまたありましたら」
と言ってお別れしてきたのですが、そうしたらすぐ「オイルフィルタがありました」
とのメール。
ちょうどオイル交換の時期でもあります。ええ、譲っていただきたい。
トヨタ1G用のオイルフィルタで代用していますけれど、純正品があるならば
それを使うのを誰が躊躇おうか。
ついでにオイルまで注文してしまいました。BPバービスのStinger、自分的には
デルタに最適であろうと思う「10W-50半化学合成油」。
しかも、20㍑ペール缶ですよ。これから冬だし熱変化も比較的少ないでしょう。
これで、駐車場でいきなりオイル交換ができるようになりますな。
(使い終わった缶はそのまま仕事場に持って行って廃油入れにでもしよう)
さて、じゃあとりあえずオイルとオイルフィルタが届くまでの間に一度、仕事場の
オイルでも使ってフラッシング代わりにオイル交換しておくか。
GRPが必要になるのは、きっとタイミングベルト交換してからだな。 10/19/2006 秋も深まる・・・・最近寝返りが打てなくて困っています。
理由は、愛猫が邪魔なところ(布団の上、足許)で寝ているから。
寝返りを打とうとして違和感に気づき、目を覚ますと暗闇の中で
愛猫と目が合います。
「なんだよぉ」って感じの目つきをされます。
手を伸ばすと、半分寝ぼけているようで、そのままこちらの手を
枕にして気持ちよさそうに顎を乗せごろごろ言ってたりします。
いや、こっちも寝ぼけてるんですけどね。
最近、あまり甘えてこなくなりました。昔はちょっとでも目の届く
場所から移動すると、寝ていても勘付いて飛んできたのですが。
いまは、どうやら「遊び相手」として見ているようで、家に帰ると
早速(靴脱ぐ暇もなく)攻撃→退避→一撃離脱戦法→近接格闘。
生傷が絶えませんw
しかも、自分が満足するともう寄ってもこないので。
考えてみると、もう1年半のつきあいだな。おこげさん。
「昔は手に乗った」おこげも、今ではだいぶ成長して、体重は
5kgくらいになりました。トレードマークの長い尻尾(よく踏んづけ
られては「みぎゃう!」と叫んでますが)、チャームポイントである
左まぶた上の「おこげ」部分(このへんをなでると目を細めます)、
順当に大きくなってきました。
キャットタワー、気に入ってくれないので困ったものですが・・・・
走り回り、あちこちの隅っこで埃を収集してきてくれるので、その
まま玄関から踊り場に連れ出してそこでハタいて掃除完了。
こちらがご飯を食べるまでご飯をガマンしていたり(外食して帰る
と「食ってきやがったな!」とばかり大暴れしてからがっつきます)、
トイレに猫トイレもおいてあるのだけど、なぜか連れション状態に
なったり。
お互い楽しくやっていけるのがいい。
うちのおこげは人間の食べ物は欲しがらないし(食われると自分の
おかずがなくなります)、海苔と生クリームだけたまにちょびっと。
安売りドライフードでも、ちょっと「青海苔ふりかけバージョン」とかに
してあげるだけですごく喜んで食べるし。
あまりいたずらが過ぎるとこちらも猫空中大回転1/2捻り、などで応戦
しますが、以前勢いあまって天井におこげを投げつけてしまったことが
あり、物陰に隠れてしまったので平謝りに謝った記憶が。
今日も、相方は普通自動二輪取りに教習所へ行ってますので、ひとり
さみしく適当なところでちんまりしているのじゃないかな。
だから、今日もきっと生傷。
めったに鳴かない子ですから、帰ったとき「にゃるるる」ってお出迎えして
くれる声が楽しみだったりもします。
はやくかえりたい。 10/12/2006 痛車生活丸一年突破!はやいものです。
2005年10月11日に納車されたマイドリームマシン、ランチア・デルタ
HFインテグラーレ16Vに乗り始めて、早1年が過ぎました。
年間トラブル回数は3回(自走不能な事態はなし)、総修理費をみると
10万円弱(部品取りを買ったのを含めると20万円弱)。
15年超えのクルマ買ったんです。壊れて当然。
それでも、自分の財布の薄さを知っているのでしょうか、デルタは
めったに不満を口にしません。
二度目の冬がめぐってきます。
タイヤは、さすがにもう限界が来ています。
もともとGRID-II(195/55R15)がついていたのを、トレッド面にヒビが
入っていたことから部品取りについていたDNA-GP(205/50R15)に
履き替えたのですが(ホイルごと)、それもサイドウォールには深い
亀裂がいくつか見つかっています。換えないと。
でも、スタッドレスの時期が来るんですよね。ちょっと悩む。
ちなみに、一周年記念として、キーレスエントリーとハザードアンサー
バックを取り付けました(HF電脳職人様、感謝の極みです)。
買ったまま保管してあった純正ブランクキーに、鍵を刻みました。
(渋い顔しながらラテンな交換条件出してくれた鍵屋のお姉さんに感謝)
※「できなきゃ御代は頂きません、できたら御代を頂戴します」でした
そして
一年間
自分の財布の薄さにつきあってくれた
デルタに
感謝。
クルマはオトナのオモチャです。
でも、家計を圧迫するものであってはならない。
そう思います。
ちなみに
平均燃費:6.8km/㍑(街乗り)
長距離燃費:9.8km/㍑(下道)
高速燃費:未計測
です。
ああそうだ、自分の前に新潟は魚沼でこのデルタを駆っていた
前オーナ様にも感謝。
あなたがいなかったら、自分はこの車に乗ることはできなかった。
久しぶりにメール、出してみようかな。 10/8/2006 デルタ現代車化計画。まいど。
久しぶりにデルタネタで書きたいことができた。
ここのところ全く無問題で動いてるうちのデルタなんだけど、
そろそろまたパワステからイオンが発生し始めた。
イオンじゃなくて、異音。
ま、これは対症療法ってことで、「音がし始めたらオイル追加」
で対処できているのでいいとします。
ただ、最近デルタのエンジンキーの樹脂部が・・・・もともと割れて
いたんでブランクキーをヤフオクで入手してあるんだけど、これ
鍵屋さんで「硬いからうちの機械ではやりたくないですね」って
率直にダメ出しされてショボンヌ。
でも、非純正キーだと無意味じゃない?ランチアのエンブレム
入ってないからさ(今使ってるのも非純正だけれども)。
というわけで、まあそのうちまたお願いして作ってもらうことには
なるんだろうけど(純正一発でドン!いっけー!なKiaiで)、まずは
非純正キーでもいいから、イグニッション回す際にぐにゃりとした
感触はやめにしようや、ってことで。
で、とりあえずボンヤリと(いつもそうだけど)ネットを眺めてた。
そしたら、バイクの純正イモビと併用してシートオープナーを社外
パーツでOPEN/CLOSEする改造を施したっていうブログを発見。
(*゚Д゚)b <GJ!
で、思わず「キーレス アンサーバック」とかでヤフオク検索。
おお、なんかいろいろある。
で、その中に。
キー一体型ジャックナイフリモコン、ってのがあった。
ジャ
ック
ナイ
フ!
あれか、親戚のアニキが持っていたあるふぁめろめろ147の鍵のように
リモコンからしゃきーんと鍵が生えるやつですか!
(*'ω')ノ <ただちに購入を決意せよ!
ってなわけで、そこよりもさらに安い場所を探し、購入。
ブランクキーはさすがにLANCIA用がなかったので付属しないが、
それは鍵屋で作ってもらえばよい(大義名分ができた!)。
その鍵を切って削って、ジャックナイフリモコンに装着!ぃぇぁ!
集中ドアロックはついてるし!運転席でも助手席でも同じ動作を
するし!
ついでにアンサーバック用のダイオード?もつけてもらった。
これで
イマドキの
装備げっちゅ!ヽ(´▽`)ノ
・・・・成功すればですけど。
・・・・D.I.Y.ですけど。
・・・・まだ商品が届いただけで、なにもしてないですけど。
・・・・早く休みの日になれ! 9/12/2006 久しぶりに工具を買った作業中、緩みにくいネジを発見。
こんなときこそインパクトドライバ。
以前、弟の同級生が勤めている工具屋さんから
安くko-kenのインパクトドライバを買ったのだが、
それはバイクのFブレーキローターを止めている
ヘクサローブねじを緩めるときで、当然ビットは
ヘキサゴンを2種類買っただけ。
あ、それとは別に12mmヘキサゴンのビット(デルタの
オイルパン用)も買ったけど。
手持ちの工具は3/8ドライブしかないので
3/8で共用できるよう3/8のインパクトドライバとビットを買った。
で、今までのんびりとその「アタックドライバ」という強そうな
ドライバを使う機会が来ないかなーと思っていたのだ。
その機会がついに来た。
そして、
困った。
±のソケットビット、まだ持ってない!
しゃあないです。電話しました、工具屋さんにw
したらビット単品だとすぐには出せないと・・・
じゃあ。
ということで。
セット注文。ko-kenの1/2ドライブのインパクトドライバセット。
赤い箱に入ってます。ビットが+2本(2番3番)-2本(9番11番)ついてます。
そして、ビットホルダがついて6点セット。
じゃ、次は3/8ドライブのビットホルダーを買うか、3/8のビットセットを注文
すればいいのか。1/2ドライブは質実剛健、3/8ドライブは多目的多用途、
1/4ドライブは繊細かつ流暢、それぞれ得意分野が違うものだし。
(1/4ドライブでインパクトドライバはない気がするけど)
早速使ってみたら、やはり素晴らしい攻撃力。一発で緩んだ。
基本はメガネ使いなのでドライバはオーディオ用に2番ロングと差し替えスタビ
(ともに入手しやすかったAnex)くらいしか普段出してないので。
あとは、KTCのミニラチェットとロングエクステンション、10mmソケット、
ユニバーサルジョイント、何故かTOPの12mm12角(いつ買ったっけ?)。
これがあると大概のネジは外せる。なにかあるととりあえずそれを
ポケットに突っ込んで出る。オマケとしてはシグネットの10mmショートギアレンチ、
キーホルダー用に買ったがキーホルダーとして使ってない代物。
唯一持っているスナップオンもやはり10mm。フレアナットレンチと、逆側が
ラチェットレンチになってる「バッテリ交換専用」RSXSM10A。
って、工具のことになるとついつい目の色が変わる俺。
今回も、一週間分のお小遣いを全部つぎ込んでしまった、どうしよう。
それにしてもKTCの頑丈さには頭が下がる。
ストレートロング梨地の14-17、17-19を持っていて、足回り交換などから
バール代わりにしたりハンマ代わりにしたりしてるが無問題。
一時期舶来モノが欲しかったが、KTCとko-kenに出会ったら考えが変わった。
多少使い捨て気分で使える(入手しやすい)のもあるけどね。
基本工具セットはシグネットで、使いやすいという評判のKNIPEXやなんかを
買い足して買い足して使ってる。
ネジなめが一番イヤなことだから、すごく気を使ってる。
しかも、他人様の車だしね。
自分の工具使わないとならんのが、仕事上ヤではあるが、逆に早い仕事が
できたり、疲れずに仕事ができたりするほうがいいもんね。
9/2/2006 秋空に誓う。・・・ン十年後の自分へ。8/31までが夏、9/1からは秋。
今年ははっきりしてますね。
昨日は朝から雨、昼一度あがったものの、結局夕方まで雨が続き
肌寒い夜を迎えました(夜露が!)。
そして、今日。涼しく、なおかつ文句なしの秋晴れ!
日中は流石にまだ日差しが強いのですが、吹く風に冷気も混じる
ようになってきました。
そんな秋空に誘われ、今日はGSX-Rで出勤したわけですが。
ふと、決心しました。
一生、この2台('89GSX-R250R/SPと'90デルタインテグラーレ)を
手放さない、と。
'92TZR250RSはどうなのか、KSR-Iはどうなのか、と問われそうだが
それは手放してもいいかもしれない。
8/24をもって、ついに三十路に突入した自分です。
今まで20代、ムチャばかりしてきました。分不相応な高望みをし、
壊したモノは数知れず。失ったものは得たものに比べるとなんと
多かったことでしょう!
このトシでもう腰痛と肩凝りに悩んでおりますが、ようやく一通り
人生の道が見えてきた気がします。
昨日の雨が上がった夕暮れ、久しぶりに、本当に本当に久しぶりに
虹を見ました。
ほんの数分でしたが、その輝きの鮮明さといったら!
M:I=4をやらかした際にも、全く不満を表さずに9km/㍑の偉業を達成
した(下道オンリーで)デルタ。
長らく放っておいたのに、祈りが通じたかすぐ息を吹き返したGSX-R。
これよりも大切なものは、今後しばらく出てこないであろう、という
思いでいっぱいです。
いつまで生き延びられるかわかりません。それこそ東海地震でも
くればアッサリ終わってしまう人生かもしれません。今日帰途において
車に撥ねられ、そのまま散ってゆく運命かもしれません。
だからこそ、精一杯楽しんで生きていこう。
あとになって「あれもやりたかった、これも欲しかった」という死に際は
最も唾棄すべき死に際だと思っているから。
この10年、後ろも見ず、ただがむしゃらに前に向かって突っ走ってきた。
はたから見たらバカにしか見えないのだろうけど、
バカなりに楽しんでいるからいいのだろう。
昨日見た、あの虹の残滓に誓おう。
「俺は俺のまま、俺をし続けて逝こう」
ン十年後、この言葉をほろ苦く思い出す日は来るのだろうか。 |
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